広島の受験時代 その7
高校3年生の冬期講習会でのことだった。
その背景に任意の風景を想定して静物モチーフを描け、という油彩画の課題が出た。
それは前年度の東京藝術大学油絵科で出題された課題であった。
それまでの油彩画の課題は普通の静物画だったのだが、その年から受験傾向ががらっと変わり、受験生の絵を創り上げる能力を問うものになった。
だから予備校側もそういった傾向に対応するため、今までの描写的な課題から、より絵作りを考えさせるものに移行していった。
さて、その課題に対して私が考えたことは、要するにバックに何を描くか、ということじゃないか、というけっこう安易なものだった。
当時私はシャガールが好きだったので、そんな幻想的な世界を描こうと思い、ちょうどクリスマスだったから、バックには教会を入れることにした。
美術研究所からの帰り道に適当な教会があったのでスケッチしておき、翌日それを参考にして、メルヘン的に描き入れた。
完成した絵は割りと気に入ったものになり、さらに友人から「おおっ、シャガールみたいじゃないか!」と言われたので、良い気分になった。
ところが講評会ではさんざんにこきおろされた。
その理由は、バックをメルヘン的に描いているのに、静物モチーフは見たままを描いているからだった。
絵というものは独自の統一された世界を表現するものであり、メルヘン的にしたいのなら、静物の部分もそういう秩序で捉えなければならない、と講師に言われた。
そのことは非常に納得できた。
確かに私の絵は、モチーフとバックとの関係がちぐはぐである。
講師が言うところの統一感や秩序が無いのである。
後年、ピカソの次の言葉を眼にしたとき、ああこれはそのことを言っているのだな、と思ったことがある。
「私は描きたいものを全て画面の中に放り込む。大変なのはものたちだ。互いにうまくやっていかなければならないから。」
ピカソ独特の言い回しだが、つまりもの同士が違和感なく絵画世界の中で存在しているように私は描いている、ということを逆説的に語っているわけだ。
わかりにくい代表のようなピカソの絵も、厳密な秩序のもとに組み立てられている。
そしてそれは、絵を描く上での基本的なことがらである。
目の前にあるものを見えるように描いているときは気がつかなかったが、画面上で異質なもの同士を組み合わせようとしたときに、私は初めて「絵画における秩序」について考え始めたのだった。
無論それは講師の言葉によって気付かされたことだったが…
ともかく高校3年生冬休みの講習会のとき、絵を描くことがどういうことなのか、漠然とではあるがわかったような気がした。
ただし、わかったから描けるようになるわけではない。そうであれば、美術評論家はすべて傑作を描いているだろう。
そのとき以降も、悩める日々は続くのである。

その背景に任意の風景を想定して静物モチーフを描け、という油彩画の課題が出た。
それは前年度の東京藝術大学油絵科で出題された課題であった。
それまでの油彩画の課題は普通の静物画だったのだが、その年から受験傾向ががらっと変わり、受験生の絵を創り上げる能力を問うものになった。
だから予備校側もそういった傾向に対応するため、今までの描写的な課題から、より絵作りを考えさせるものに移行していった。
さて、その課題に対して私が考えたことは、要するにバックに何を描くか、ということじゃないか、というけっこう安易なものだった。
当時私はシャガールが好きだったので、そんな幻想的な世界を描こうと思い、ちょうどクリスマスだったから、バックには教会を入れることにした。
美術研究所からの帰り道に適当な教会があったのでスケッチしておき、翌日それを参考にして、メルヘン的に描き入れた。
完成した絵は割りと気に入ったものになり、さらに友人から「おおっ、シャガールみたいじゃないか!」と言われたので、良い気分になった。
ところが講評会ではさんざんにこきおろされた。
その理由は、バックをメルヘン的に描いているのに、静物モチーフは見たままを描いているからだった。
絵というものは独自の統一された世界を表現するものであり、メルヘン的にしたいのなら、静物の部分もそういう秩序で捉えなければならない、と講師に言われた。
そのことは非常に納得できた。
確かに私の絵は、モチーフとバックとの関係がちぐはぐである。
講師が言うところの統一感や秩序が無いのである。
後年、ピカソの次の言葉を眼にしたとき、ああこれはそのことを言っているのだな、と思ったことがある。
「私は描きたいものを全て画面の中に放り込む。大変なのはものたちだ。互いにうまくやっていかなければならないから。」
ピカソ独特の言い回しだが、つまりもの同士が違和感なく絵画世界の中で存在しているように私は描いている、ということを逆説的に語っているわけだ。
わかりにくい代表のようなピカソの絵も、厳密な秩序のもとに組み立てられている。
そしてそれは、絵を描く上での基本的なことがらである。
目の前にあるものを見えるように描いているときは気がつかなかったが、画面上で異質なもの同士を組み合わせようとしたときに、私は初めて「絵画における秩序」について考え始めたのだった。
無論それは講師の言葉によって気付かされたことだったが…
ともかく高校3年生冬休みの講習会のとき、絵を描くことがどういうことなのか、漠然とではあるがわかったような気がした。
ただし、わかったから描けるようになるわけではない。そうであれば、美術評論家はすべて傑作を描いているだろう。
そのとき以降も、悩める日々は続くのである。

怒りを誘う男 後編
彼はあるとき、私の態度に耐えかねたのだろう、「先生、もっと優しくしてくださいよ!」と訴えてきた。
そんなことをこれまで生徒から言われたことが無く、その表現が安っぽいメロドラマのセリフみたいで、内心私は笑ってしまったのだが、同時になにヤワなこと言ってんだっ、みたいな気持ちにもなって、逆に私の怒りを誘ったのである。
彼にしてみれば必死の嘆願だったのだろうが、あえなくそれも粉砕されてしまった。
何をしても怒られてしまう、まったくもって不幸な男だった。
彼にはそういう気の毒な面もあったが、思慮の足りないところもあった。
私が彼にもっとも怒りを覚えたエピソードがある。
彼と同い年の浪人生(彼についてはこれからたっぷりと書くつもりでいる)が入院した。
私は入院中の彼を励ますつもりで、浪人生に寄せ書きをして持っていこうと提案した。
(これは実は妻の発案なのだが、私はさも自分が考えたように浪人生に話したのだ)
私が色紙を用意し、浪人生に廻して彼への励ましの言葉を書いてもらった。
そしてY崎は、非常にそっけない文面をこともあろうに木炭で書いたのだ。
それが私の逆鱗に触れた。
ご存知のように木炭は定着が悪く、そのために定着液をかけなくてはいかないが、それはデッサンでの話だ。
色紙に寄せ書きを木炭で書くということがいかにそぐわないことか…少し考えればわかることなのに、手元にあった木炭を安易に使ってしまった彼の思慮の無さに、私は腹を立てた。
私は当分のあいだ、そのことを思い出すたびに怒りを新たにしたものだ。
Y崎は、2浪のときこそ遅刻したり来なかったりすることが多かったが、3浪になると人が変わったように真面目になった。
それに伴って実力も(遅まきながら)ついてきて、受験期までに多くの参考作品を生み出していった。
残念ながらもっとも行きたかった大学には入れなかったが、広島の公立大学に合格することができた。
彼は昨年度そこを卒業し、今は島根の実家に帰っている。
卒業制作展の彼の作品を妻と見に行ったとき、彼は美術館の監視員として会場におり、私を見るとかちこちに固まりながら挨拶してくれた。
彼の100号の油絵は、恰幅の良い彼の父親の全裸像を中心に配し、その父親が栽培している牡丹を手前に爛漫に咲き誇らせていた。
非常にスケールの大きな、堂々とした作品で、私はこれは素晴らしいと感動したのだが、大学での評価は芳しくなかったという。
残念なことだが仕方が無い。他人はどのようにも評価する。そして、その評価にあまり振り回されないことが大切だと思う。
このブログを書くにあたって、本人に了承を取るために久しぶりに電話で話をしたのだが、彼の口ぶりは非常にはきはきしていて、一瞬別人かと思った。
聞けば今は島根の写真スタジオで正社員として働いている、ということだった。
「僕ももう社会人ですから…」とすこし照れたような、しかし気概をこめた言葉に、あのときからの歳月を感じた。
人は大人になっていくのである。
そんなことをこれまで生徒から言われたことが無く、その表現が安っぽいメロドラマのセリフみたいで、内心私は笑ってしまったのだが、同時になにヤワなこと言ってんだっ、みたいな気持ちにもなって、逆に私の怒りを誘ったのである。
彼にしてみれば必死の嘆願だったのだろうが、あえなくそれも粉砕されてしまった。
何をしても怒られてしまう、まったくもって不幸な男だった。
彼にはそういう気の毒な面もあったが、思慮の足りないところもあった。
私が彼にもっとも怒りを覚えたエピソードがある。
彼と同い年の浪人生(彼についてはこれからたっぷりと書くつもりでいる)が入院した。
私は入院中の彼を励ますつもりで、浪人生に寄せ書きをして持っていこうと提案した。
(これは実は妻の発案なのだが、私はさも自分が考えたように浪人生に話したのだ)
私が色紙を用意し、浪人生に廻して彼への励ましの言葉を書いてもらった。
そしてY崎は、非常にそっけない文面をこともあろうに木炭で書いたのだ。
それが私の逆鱗に触れた。
ご存知のように木炭は定着が悪く、そのために定着液をかけなくてはいかないが、それはデッサンでの話だ。
色紙に寄せ書きを木炭で書くということがいかにそぐわないことか…少し考えればわかることなのに、手元にあった木炭を安易に使ってしまった彼の思慮の無さに、私は腹を立てた。
私は当分のあいだ、そのことを思い出すたびに怒りを新たにしたものだ。
Y崎は、2浪のときこそ遅刻したり来なかったりすることが多かったが、3浪になると人が変わったように真面目になった。
それに伴って実力も(遅まきながら)ついてきて、受験期までに多くの参考作品を生み出していった。
残念ながらもっとも行きたかった大学には入れなかったが、広島の公立大学に合格することができた。
彼は昨年度そこを卒業し、今は島根の実家に帰っている。
卒業制作展の彼の作品を妻と見に行ったとき、彼は美術館の監視員として会場におり、私を見るとかちこちに固まりながら挨拶してくれた。
彼の100号の油絵は、恰幅の良い彼の父親の全裸像を中心に配し、その父親が栽培している牡丹を手前に爛漫に咲き誇らせていた。
非常にスケールの大きな、堂々とした作品で、私はこれは素晴らしいと感動したのだが、大学での評価は芳しくなかったという。
残念なことだが仕方が無い。他人はどのようにも評価する。そして、その評価にあまり振り回されないことが大切だと思う。
このブログを書くにあたって、本人に了承を取るために久しぶりに電話で話をしたのだが、彼の口ぶりは非常にはきはきしていて、一瞬別人かと思った。
聞けば今は島根の写真スタジオで正社員として働いている、ということだった。
「僕ももう社会人ですから…」とすこし照れたような、しかし気概をこめた言葉に、あのときからの歳月を感じた。
人は大人になっていくのである。
シード受験生列伝その2 怒りを誘う男 前編
島根県から一浪のときにシードの昼間部にやって来たY崎は、その顔つきからひとりの講師に「悪徳検校」とか「極悪坊主」などと呼ばれていて、私もそれが彼にぴったりあっていると(彼には悪いが)思ってしまった。
しかし実際はもの静かで、シャイな青年だった。
浪人仲間からは「ツトム」と呼ばれていた。
本名は「ヒロシ」なのだが、同姓の役者の名前から、浪人生のひとりがツトムと呼び始め、いつのまにかみんながそう呼ぶようになった。
だから彼の本名がツトムだと思っている人も多い。
あだ名というものは本名をもじってつけるのが普通なのに、まったく違う名前にしてしまうのもひどい話だ。
本人もそう呼ばれることに抵抗はしたのだろうが、多勢に無勢というか、みんながそう呼ぶから、結局ツトムが定着してしまった。
私は浪人時代の彼に、ずいぶんひどいことを言った。
私はけっこう気が短く、感情的で、今はあまりそういうことはないが、若いときは生徒を怒鳴りつけたり、叱り飛ばしたりしていた。
そして、こう言っては御幣があるかもしれないが、叱りやすいというか、つい叱ってしまう生徒というのがいるものだ。
たまたま私の虫の居所が悪いときにかぎって、こちらがいらつくような言動をする生徒がたまにいた。
ときには本人にまったく非が無いのに私の逆鱗に触れた生徒もいて、申し訳ないとは思うのだが、そういうめぐり合わせになってしまうのだから仕方が無い。
Y崎もそういうタイプだった。
彼は私に怒られるたびに、他の仲の良い浪人生と飲みに行き、その憂さを晴らしていたようだ。
彼が愚痴を言い、他の連中がなぐさめるのである。
一時期、私はゴミの分別ができていないことに腹を立てていたことがあった。
空き缶は表の自動販売機横の空き缶入れに捨てることになっていたのに、頻繁にアトリエ内のゴミ箱に放り込んであったからだ。
ある日、リサイクルプラ用のゴミ箱の中にまたも空き缶を見つけ、すこし熱くなっていた私の目の前で、Y崎が平然と(私はそう感じた)そこに空き缶を捨てたので、私はぷっつり切れてしまい、彼に悪口雑言を浴びせかけたのである。
「殺すぞっ!」と言ったのは覚えている。
もちろん言葉のはずみ(にしてはよく言ってしまうのだが…)であるが、彼はけっこうショックを受けたらしく、他の浪人生に「殺すぞって言われた!」と半泣きで愚痴をこぼしたらしい。
もちろん彼だけが空き缶を捨てていたわけではないし、悪気があったわけでもない。
彼はそのときなぜか知らないが、空き缶はそこに捨てるものだと思いこんでいたらしい。
しかし捨てたタイミングが最悪だったのだ。そういう気の毒なめぐり合わせの運命を背負っている男だったのである。
私は彼に講評会でもずいぶん辛らつなことを言った。
時には最初褒めていたのに、気がついたらボロクソ言っていた、ということもあった。
それは(こう言うのもひどい話だが)、彼の顔つきがこちらの怒りを誘う、という面もあった。
さらに彼はあまり表情を変えないから、(よく見ると眉毛の動きで感情の変化がわかるのだが…)私がかなりきついことを言っても、あまりこたえていないように見える。
すると私は、これだけ言ってもこたえないのか、それならもっとひどいことを言ってやる、みたいなモードになってしまうのだ。
もちろん本人には私のひとことひとことが、グサグサ突き刺さっていたのだが…
後編につづく

しかし実際はもの静かで、シャイな青年だった。
浪人仲間からは「ツトム」と呼ばれていた。
本名は「ヒロシ」なのだが、同姓の役者の名前から、浪人生のひとりがツトムと呼び始め、いつのまにかみんながそう呼ぶようになった。
だから彼の本名がツトムだと思っている人も多い。
あだ名というものは本名をもじってつけるのが普通なのに、まったく違う名前にしてしまうのもひどい話だ。
本人もそう呼ばれることに抵抗はしたのだろうが、多勢に無勢というか、みんながそう呼ぶから、結局ツトムが定着してしまった。
私は浪人時代の彼に、ずいぶんひどいことを言った。
私はけっこう気が短く、感情的で、今はあまりそういうことはないが、若いときは生徒を怒鳴りつけたり、叱り飛ばしたりしていた。
そして、こう言っては御幣があるかもしれないが、叱りやすいというか、つい叱ってしまう生徒というのがいるものだ。
たまたま私の虫の居所が悪いときにかぎって、こちらがいらつくような言動をする生徒がたまにいた。
ときには本人にまったく非が無いのに私の逆鱗に触れた生徒もいて、申し訳ないとは思うのだが、そういうめぐり合わせになってしまうのだから仕方が無い。
Y崎もそういうタイプだった。
彼は私に怒られるたびに、他の仲の良い浪人生と飲みに行き、その憂さを晴らしていたようだ。
彼が愚痴を言い、他の連中がなぐさめるのである。
一時期、私はゴミの分別ができていないことに腹を立てていたことがあった。
空き缶は表の自動販売機横の空き缶入れに捨てることになっていたのに、頻繁にアトリエ内のゴミ箱に放り込んであったからだ。
ある日、リサイクルプラ用のゴミ箱の中にまたも空き缶を見つけ、すこし熱くなっていた私の目の前で、Y崎が平然と(私はそう感じた)そこに空き缶を捨てたので、私はぷっつり切れてしまい、彼に悪口雑言を浴びせかけたのである。
「殺すぞっ!」と言ったのは覚えている。
もちろん言葉のはずみ(にしてはよく言ってしまうのだが…)であるが、彼はけっこうショックを受けたらしく、他の浪人生に「殺すぞって言われた!」と半泣きで愚痴をこぼしたらしい。
もちろん彼だけが空き缶を捨てていたわけではないし、悪気があったわけでもない。
彼はそのときなぜか知らないが、空き缶はそこに捨てるものだと思いこんでいたらしい。
しかし捨てたタイミングが最悪だったのだ。そういう気の毒なめぐり合わせの運命を背負っている男だったのである。
私は彼に講評会でもずいぶん辛らつなことを言った。
時には最初褒めていたのに、気がついたらボロクソ言っていた、ということもあった。
それは(こう言うのもひどい話だが)、彼の顔つきがこちらの怒りを誘う、という面もあった。
さらに彼はあまり表情を変えないから、(よく見ると眉毛の動きで感情の変化がわかるのだが…)私がかなりきついことを言っても、あまりこたえていないように見える。
すると私は、これだけ言ってもこたえないのか、それならもっとひどいことを言ってやる、みたいなモードになってしまうのだ。
もちろん本人には私のひとことひとことが、グサグサ突き刺さっていたのだが…
後編につづく

金曜クラス・1,2月の作品
「パリスの審判」
テッサリアの王ペレウスとニンフのテティスの結婚を祝う宴には、オリンポス中の神々が揃って臨席したが、不和の神エリスだけが招かれなかった。
怒ったエリスは「最も美しい女神に捧げる」として黄金の林檎を投げ込んだ。
私こそ最も美しい、とばかりにその林檎の所有権を主張した女神は、いずれもプライドの高い、ユノ(ヘラ)、ウェヌス(アフロディテ)、ミネルヴァ(アテナ)だった。
ユピテル(ゼウス)は自ら判定を下すことを避けて、トロイア王の息子で羊飼いのパリスに審判役を押し付けた。
使者にメルクリウスが立ち、こうして最古の美人コンテストが開かれることになった。
女神たちはそれぞれパリスを買収しようとし、ユノは広大な領地を、ミネルヴァは戦いの勝利を、ウェヌスは最も美しい女性を与えると約束した。
パリスは最も美しい女性、すなわちスパルタ王メネラーオスの妻になっていたヘレネを獲得することを選んだのだ。
このことがトロイア戦争の発端となった。
以上が「パリスの審判」の物語である。

ルーカス・クラナッハ(1472〜1553) 「パリスの審判」

ピーター・パウル・ルーベンス(1577〜1640) 「パリスの審判」

フィリップ・パロット(1831〜1894) 「パリスの審判」

ピエール・オーギュスト・ルノアール(1841〜1919) 「パリスの審判」
クラナッハの作品は、なんとなく奇妙な絵に見える。
左端にいるのがパリスだろうが、とても羊飼いには見えない。なんとも重々しいいでたちの老人がくたびれてへたり込んでいるように見える。
その横で水晶玉のようなものを差し出しているのがメルクリウスだろうが、黄金の林檎はどこにあるのだろう。
三人の女神も誰が誰だかわからない。パリスに向かって手を出しているのがウェヌスだろうか。
画面の隅に顔を突き出している馬の表情が、なんとも間が抜けていて笑ってしまう。
というか、全員が脱力系という感じなのだ。
ルーベンスの作品は非常にわかりやすい。
パリスは羊飼いそのものだし、メルクリウスもマントをはためかせ、トレードマークの羽根付き帽子を被っている。
3人の女神も、それぞれの付属物(アトリビュートという)によって、誰が誰だかすぐにわかる。
画面中央にいるのが孔雀を従えたユノ、隣がキューピットを従えたウェヌス、左端がゴーゴンの首を封じ込めた盾を持ち、梟を供にしたミネルヴァである。
パリスが黄金の林檎を差し出し、ウェヌスがそれを受け取るために一歩前に出ようとしている。
それにしてもルーベンスの描く女性の豊満さは圧倒的である。
パロットという画家について私はほとんど何も知らない。
彼の作品で唯一知っているのが、この「パリスの審判」である。
パロットは19世紀フランスの画家らしいが、この絵の重々しい色調や、強い光の当て方など、バロック様式を思わせる。
しかし女神たちの表現は現代的で、3人とも神々しいという感じはなく、美人コンテストに応募してきた自意識過剰の娘たちという風情である。
両側でポーズを決めているふたりの女神に挟まれて、パリスの差し出す黄金の林檎を受け取ろうとしているウェヌスの表情が初々しい。
ルノアールの作品は、おそらく彼の最晩年のもののひとつだろう。
どこまでも明るく、肉感的で、ルノアール独特の世界である。
3人の女神が豊満であるのはわかるとして、画面左端のメルクリウスまで丸々としていて、それで空は飛べないだろう、と突っ込みを入れたくなる。
私ならどの女神の買収に乗るだろうと思ってみるが、どれを選んでもそのあと大変そうだ。
少なくともパリスのように人妻は選ばないよ、と思う。
どうせだったら現金をくれればいいのに、などと考えてしまうのが貧乏人の証拠である。
もちろんパリスはもともと王子だから、そんなみみっちいことは考えず、ヘレネをもらうことこそ自分に相応しい、と思ったのだろう。

怒ったエリスは「最も美しい女神に捧げる」として黄金の林檎を投げ込んだ。
私こそ最も美しい、とばかりにその林檎の所有権を主張した女神は、いずれもプライドの高い、ユノ(ヘラ)、ウェヌス(アフロディテ)、ミネルヴァ(アテナ)だった。
ユピテル(ゼウス)は自ら判定を下すことを避けて、トロイア王の息子で羊飼いのパリスに審判役を押し付けた。
使者にメルクリウスが立ち、こうして最古の美人コンテストが開かれることになった。
女神たちはそれぞれパリスを買収しようとし、ユノは広大な領地を、ミネルヴァは戦いの勝利を、ウェヌスは最も美しい女性を与えると約束した。
パリスは最も美しい女性、すなわちスパルタ王メネラーオスの妻になっていたヘレネを獲得することを選んだのだ。
このことがトロイア戦争の発端となった。
以上が「パリスの審判」の物語である。

ルーカス・クラナッハ(1472〜1553) 「パリスの審判」

ピーター・パウル・ルーベンス(1577〜1640) 「パリスの審判」

フィリップ・パロット(1831〜1894) 「パリスの審判」

ピエール・オーギュスト・ルノアール(1841〜1919) 「パリスの審判」
クラナッハの作品は、なんとなく奇妙な絵に見える。
左端にいるのがパリスだろうが、とても羊飼いには見えない。なんとも重々しいいでたちの老人がくたびれてへたり込んでいるように見える。
その横で水晶玉のようなものを差し出しているのがメルクリウスだろうが、黄金の林檎はどこにあるのだろう。
三人の女神も誰が誰だかわからない。パリスに向かって手を出しているのがウェヌスだろうか。
画面の隅に顔を突き出している馬の表情が、なんとも間が抜けていて笑ってしまう。
というか、全員が脱力系という感じなのだ。
ルーベンスの作品は非常にわかりやすい。
パリスは羊飼いそのものだし、メルクリウスもマントをはためかせ、トレードマークの羽根付き帽子を被っている。
3人の女神も、それぞれの付属物(アトリビュートという)によって、誰が誰だかすぐにわかる。
画面中央にいるのが孔雀を従えたユノ、隣がキューピットを従えたウェヌス、左端がゴーゴンの首を封じ込めた盾を持ち、梟を供にしたミネルヴァである。
パリスが黄金の林檎を差し出し、ウェヌスがそれを受け取るために一歩前に出ようとしている。
それにしてもルーベンスの描く女性の豊満さは圧倒的である。
パロットという画家について私はほとんど何も知らない。
彼の作品で唯一知っているのが、この「パリスの審判」である。
パロットは19世紀フランスの画家らしいが、この絵の重々しい色調や、強い光の当て方など、バロック様式を思わせる。
しかし女神たちの表現は現代的で、3人とも神々しいという感じはなく、美人コンテストに応募してきた自意識過剰の娘たちという風情である。
両側でポーズを決めているふたりの女神に挟まれて、パリスの差し出す黄金の林檎を受け取ろうとしているウェヌスの表情が初々しい。
ルノアールの作品は、おそらく彼の最晩年のもののひとつだろう。
どこまでも明るく、肉感的で、ルノアール独特の世界である。
3人の女神が豊満であるのはわかるとして、画面左端のメルクリウスまで丸々としていて、それで空は飛べないだろう、と突っ込みを入れたくなる。
私ならどの女神の買収に乗るだろうと思ってみるが、どれを選んでもそのあと大変そうだ。
少なくともパリスのように人妻は選ばないよ、と思う。
どうせだったら現金をくれればいいのに、などと考えてしまうのが貧乏人の証拠である。
もちろんパリスはもともと王子だから、そんなみみっちいことは考えず、ヘレネをもらうことこそ自分に相応しい、と思ったのだろう。















